Myuma Gaming Blog

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「ゲンロン8 ゲームの時代」に思う事と、ゲーム史のオルタナティブ・ファクト

ゲンロン8 ゲームの時代 を拝読。

80年代あたりの言説はギリギリ大丈夫ではあったのだが

90年代、00年代、10年代と読み進めて行くうちに

あれれれれ? と思う歴史の誤認識やシーン言及へのスキップなどが目立ち

結論としての落着点ありきで言説が進み過ぎていたり

黒瀬氏のFPS、TPSのジャンル誤解等がかなり強くあったと思う特集でした。

 

が、故に、個人的に書き留めたいと思う箇所を何箇所かピックアップしようかなと。

 

日本でのDOOMが流行らなかった理由

まず、ゲンロン8誌では「国内ではDOOMが流行らなかった」と言う話ではあるが、

この時の日本国内でのPCゲームシーンを見ると「PC98シリーズ」が中心だった事、

基本的に「ゲームと言うモノはMIDIやボードの拡張マシマシで動かす」構成が中心だったと言う事、

さらには「コンパックショック」などを長期的に見ていくと、国内PCが性能面よりもかなり割高で、

なおかつホビーユースではなく、ビジネスユースが中心だった、と言う事が挙げられる。

(ハイエンドが30~40万円!! さらにナシナシ構成だとゲームがかなりチープに)

 

また、PC98の発売ゲーム一覧を見てみると、やはり当時強いのがADVやSLGであり

PC98の場合、一般ゲームよりも、俗に言うエロゲー美少女ゲームが強いシーンだったと言うこともあった事や、角川「コンプティーク」誌の扱うゲームがまるっきり変わってしまうレベルでの美少女ゲーム専門誌化など、シーンが美少女ゲームほぼ一色、

アスキー「LOGiN」、アクセラ等(※)の「Play Online」誌などの一般ゲーム誌がマイナー、カルト扱いと言う現象だった、と言う事を触れておかないのはフェアじゃあないよね? と言う所だったとも思う。

※Play Online誌はスクウェアで名称が使用されると言う理由でスクウェア関連からの刊行、誌名変更されてと言う紆余曲折な経緯の雑誌であったと言うことにも触れておきたい。

 

PC98版DOOMYoutubeで検索するとわかるのだが、オリジナルに比べるとやはり・・・と言う所は大きい、そもそものゲームシーン自体が全く別の物、と考えれば自ずとわかりやすいかな、とは個人的には思う。

 

また、PC98と言うマシンのスペック都合、当時はアーケードライクな激しいACTゲームがかなり苦手、と言うところで、こう言う所は家庭用ゲーム、X68に分があると言わざるをえない部分が目立つように思う。

 

さらには、このタイミングだと「プリンス・オブ・ペルシャ」にも言及があっても良かったかな? ともちょっとだけ思った、PC移植からの家庭用版もかなり頑張っていたタイトルで、これも家庭用版だと月刊PCエンジンなどが評価していたりも。

 

美少女ゲームエロゲーへの中途半端な扱い

DOOMの項で触れたように、90年代以降のPCゲームは

美少女ゲームエロゲーがシーンの中心であり、

一般PCゲームがカルトゲーム扱いされている事がかなり多かったように思う

(例えばザ・コンビニが出るまでのWinゲームの低迷期や、テックウィン誌、ログイン誌での海外ゲームプッシュ等々があっても、と言う所とか)

 

当方も90年代は基本的に家庭用で育った人間ではあるが、本屋の片隅に美少女ゲーム雑誌や、PCショップの棚にエロゲーが置いてあるのが当たり前、と言う世代だった、

当時はそこまでに影響力が高いと言う事と、家庭用ゲームへの移植、

家庭用ゲーム、特にときめきメモリアルへの影響、

及び「家庭用マシンでのエロゲー移植での衝撃」と言うのも度々発生していた。

(To HEARTYU-NOあたりか)

 

90年代~00年だ前半あたりまでのエロゲー言説がかなり薄く、

シーン的にここらへんのスルーをしていた事も噛み合ってない所が強かった。

 

2chの言説が「ゲハ」だけではなく、エロゲメーカー単独でLeaf、Keyの影響力と言う事で

葉鍵板が作られた事も触れるべきじゃなかったのかなぁ、とも言いたくもあるよね

とあの特集を読んでいた人はいなかったのかなーとか歯噛みしたいっちゃしたい。

 

90年代後期の「ゲーム機戦争」(これも仕組まれたモンだとは思ってはいるんだけど)

「PCゲーム自体のシーンの扱い」、「DOS/V機出現による自作PCショップ」とか

ただ単に家庭用ゲームだけで完結していた、と言うワケではないのも注目してほしかった。

 

他にも、美少女ゲームを語る上でストーリーが外せない、と言う所だと

やはり美少女ゲーム出身のシナリオライターの他分野での活躍、と言うのが

物凄くわかりやすくあるように思う。

魔法少女まどか☆マギカ」、「仮面ライダー鎧武」等の虚淵玄が代表格とも言えるだろう

特に90年代後期末期~00年代のライターが、最前線で活躍していることはちょっとうれしく思う。

 

カイロソフト等の投稿作品、アングラシーンフリーゲーム諸々

00年代以降、「ゲームが売れなくなりましたよね?」と言う話などがあったものの

ここでの言及のモヤモヤがかなり強かったので、当時の記憶やら何やら色々なモノを記憶から掘り起こして書き進めてみたい。

 

先にも触れたように、TECH Win誌では、読者投稿コーナー「デジタルアイアンマン」があり。

このコーナーで投稿するたびに毎回50万円を獲得していた学生がいたのをご存知であろうか? その少年が現在

カイロソフト

を運営している人そのものである。

「The 古本屋」、「ゲーム発展途上国」、「まんが 奥の細道」等、

「遊びだしたら止まらない」と言うゲームをリリースしている。

そして00年代以降だと、「BM98」等が盛り上がった時代であり、

家庭用ゲーム以外のゲームの存在感が急上昇した時代でもあったと思う。

 

また、「GBAゲームキューブの時代って売れてませんでしたよね?」あたりもだが

JRPGと言う蔑称が使われだしたタイミングと言うよりも、この頃だと

RPGと言うジャンル、タイトルのガッカリ化の増加」や、「発売初日買取が大量」により、メーカーとしての信頼が急落したり、と言う現象もあったように思う、アンリミテッド・サガや他ジャンルだと一年戦争あたりは有名かと、また、RPG自体の早解き、

フライング購入での配信での速攻クリア等、深みが持てなかったゲームが多かったのもあるんじゃないのかな、とは個人的には言及したかった。

 

さらに深く突っ込んで言うなれば「売れたタイトルほど中古戻りでの反動が強い」、

「カルトタイトルが長く語り継がれる」と言う土壌も強くなったんじゃないかなぁとも。

今ではフルプライスでのリリースになっている地球防衛軍シリーズも、もともとは

Theシンプルシリーズでの発売だったり、

今年2018年に海外でリマスターが発表されたメタルウルフカオスも、初代XBOXでのリリースであり、なおかつ国内限定と言うカルトっぷりである。

また、根強いファンが多いF-ZEROも、最終作がゲームキューブ版/アーケード版の

F-ZERO GX/AX」であり、これもまたカルトタイトルではあるよね、とも思う

 

そして、GBAと言うと個人的にショッキングだったのが

「発売当日から高精度なエミュレーターが存在していた」と言う事でもあったと思う

初日からエミュレーターが流出、開発されていてそのままで動いてしまうのはまさしくショックそのものであったと思う

ここから尾を引いてのDSマジコンの一般店舗販売

(一般店舗での販売が無ければ、過剰には広まらなかったと思う)

ゲーム脳などの過剰ゲームバッシング等々、複合的要因でのゲームでの売上減、

そこからのアプローチとしての「一般大衆向けツール」への拡大などなのかなぁと

 

他にも、パチスロブームと言うよりかは、本格的な4号機ブームによる

北斗の拳」のスロットシミュレーターが100万本販売等、あの頃は、

単に売上の減少と言うよりも、複合的な見識があると面白いモノが見れるんじゃないかな、とはちょっとゲンロン8側の言及不足や言及スキップなどで思った所でもあります。

 

ゲームのパチンコ化じゃないでしょ・・・

個人的にかなり引っかかったのが「ゲームのパチンコ化」

パチンコとゲームの関係性と言えばアイレムが有名

(海物語シリーズの液晶制御は初代からここが担当)

だったり、iOS、へべれけ等で有名なサン電子もパチンコ、パチスロ関連で有名

最近だと藤商事が自社でのソーシャルゲーム運営などは行っているが

 

ゲーム自体のパチンコ、パチスロ化の言説と言うのが色々と間違っているように感じる、

携帯電話ゲームが「これだけに数百円はなぁ・・・」と言う意識が強かった事が幸いしての

ゲーム自体の無料化や、ハンゲーム等の無料ゲーム、Free To Playゲームが主流になり

韓国などで発生したこの潮流に巻き込まれるかのようにゲームの無料化が進み

日本だけが当時流行していた「探検ドリランド」、「ドラゴンコレクション」等の

携帯電話ソーシャルゲームに採用されていたガチャを採用した、と言う流れであり、

国内以外でのゲームの流行が「ハートやスタミナ消費タイプのマッチパズル」

「スタミナやリソース消費タイプ」が中心だったり、アバター着せ替え、

コミュニケーション部分に比重を置く、ゲーム性を毀損しない程度の要素など

ゲンロン8序盤で語られた「楽しまれるゲームの同一化」と言うのが

時には合流、時には乖離と言うのが正しく、その潮流が大まかに5年~10年と言う大雑把なスパンで発生している、また、シーン的に土壌が違ってしまうと言う結果も発生している事で同一ゲームが楽しまれない、と言うケースも出てきていたりとかも、と言う言説が、やはりあずまん、黒瀬さん、さやわかさんに物凄く欠けていたのかなぁ、と言う所でもあるような。

 

雑まとめ

アレを読む限りでは「ゲームのメインストリームだけがゲームです!!」と言う言説にしかなっていないけれども、ゲーム史と言うのは「それぞれのシーンがが複雑に絡み合う複雑なモノ」であり、

「売上だけが重要視されるモノではない」

「多数の人の記憶や口伝、記録も重要である」

「真実が一つ、とは限らない」

あたりがあの雑誌特集の結論であり、

それが守られていないからこそ、ここまで炎上してしまったのかな、と言う感想でした。

 

・・・個人的には、シュタゲ、HOTLINE MIAMI、SPEC OPS THE LINEあたりも言及すべきだったんじゃないかなぁとも思った、この3作のミッシングリンクも重要だと思う。

自分が引いた引金なら自分で責任を持つ

と言う事の重要さとか。